vol.04 フィリップ・キャンデロロ<3>

COLUMN

2022.06.20

コラム

フィギュアスケート

vol.04 フィリップ・キャンデロロ<3>

フランスから帰国後、やはり行って実際にショーを見てよかったという満足感はあるものの、 自分以外のまわりの状況は変わるわけでもなく、なんとか実現したいという気持ちだけが空回り して、時間だけが経過していきました。

そんな中、キャンデロロのエージェントの方から連絡がありました。その後の状況を聞きたか ったのだと思いますが、わざわざフランスまでショーを見に行ったことで、私が本気で取り組も うとしていることをやっと理解してくれたのかとその時は思いました。しかし、実際のところは 私に出していた条件で、自分たちの知っている日本のテレビ局などに直接売り込んでいたのです。 ところが、前号でも述べたとおり、高額なこともあり、どこからも敬遠され、そしておそらく最 後に実際に見に来た私と交渉するしか選択肢がないと考えたのでしょう。

2001年の春頃から頻繁にメールのやり取りが続きました。コミュニケーションをとることで、 エージェントとも互いに理解し合える関係になってきて、なんとか日本で実現させたいという気 持ちがそうさせたのか、私を信用してそうしたのか、エージェントからの金額が相当下がってき ました。勿論、スケーターの出演料以外にも会場費などの運営費はかかるわけですが、もうここ まできたら、私自身が、テレビ放送は勿論なく、スポンサーもなくチケットの収入だけでなんと かなるのか、もし赤字になれば全てをCICが背負わなければならないリスクを持ってショー開 催に踏み切れるかどうかにかかってきました。CIC設立3年目にして、業務での判断というレ ベルではない、会社としては初めて大きなギャンブルの決断を迫られていました。

そんな中、私とエージェントのやり取りをどこまで知ってか知らずかわかりませんが、キャン デロロ本人から直接連絡がありました。どうも、エージェントが金額を大幅に下げたことで、私 が大儲けしようとしているのではないかと疑っているようでした。いつまでもあなたの人気が続 いているわけではないと、ちょっと腹も立ちましたが、キャンデロロの絶頂期だった長野オリン ピックから約3年半、今どれだけ人気があるのか試してみたくもあり、最後は私の意地で決めま した。

“フィリップ・キャンデロロ ジャパンツアー2001” 2001年9月29日(土)、30日(日)計3公演、場所は新横浜スケートセンター。 決めたのは7月末、あとたった2ヶ月の準備期間しかありませんでした。(次号へつづく)